イスラム・ホジャが初めてヨーロッパ方式の建設と新カリキュラムを導入した学校

ヒヴァ「イチャン・カラ」で最も高いイスラム・ホジャ・ミナレットの向かい側にある2階建ての建物。

イスラム・ホジャ・ミナレットやイスラム・ホジャ・メドレセに魅了されて、見過ごされやすいのがこの2階建ての建物になります。

この建物は、イスラム・ホジャが初めてヨーロッパの建築様式を用いて建設し、新しいカリキュラムを導入した学校になります。

ここでは、イスラム・ホジャが新カリキュラムを導入した学校についてご紹介します。

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この学校は、1910年にヒヴァの最後のハーン(王様)であるイスファンディヨール・ハーンの大臣であり、義父でもあるサイ-ド・イスラム・ホジャによって建てられました。

この学校は、ヨーロッパの建築様式を取り入れた2階建ての建設になっています。

この建物の各階には4つの部屋があり、合計8つの部屋があります。

この学校では、新しいカリキュラムとしてコーラン(イスラム教の聖典)以外にロシア語、数学、地理、自然科学、体育などの科目が教育されていました。

この建物は、1990年には公教育の歴史美術館となっています。

また、2004年にはこの建物の1階にウズベキスタンで最初の写真家でもあり、映画監督でもあるフドーイベルガン・デボノーフの写真展が開設されました。

フドーイベルガン・デボノーフはウズベキスタンのみではなく、中央アジアに写真や映画の芸術を持ち込んだ貴重な人物になります。

フドーイベルガン・デボノーフが残した歴史的な写真や映画は、現在も貴重な文化遺産となっています。

まとめ

ヒヴァ「イチャン・カラ」内にあるイスラム・ホジャが建設した学校についてご紹介しました。

イスラム・ホジャは、ヒヴァのハーンではなかったにも関わらず、メドレセやミナレットの他にも学校建設など、ヒヴァの発展に貢献した人物であることがわかります。

イチャン・カラに観光に行くと、イスラム・ホジャ・メドレセやイスラム・ホジャ・ミナレットが有名であるため、この学校は見過ごしがちになってしまいます。

私もガイドの資格を取得するまでは、この学校の存在については知りませんでした。

ぜひ、ヒヴァ「イチャン・カラ」に来られた際は、フドーイベルガン・デボノーフの写真展を見ることができる、この学校にも立ち寄ってみてくださいね。

投稿者: N.mikako

ウズベキスタンのホラズム州、トルクメニスタンとの国境沿いの村に住んでいるウズベク人と結婚し、現在中央アジアで最初に登録された世界遺産イチャン・カラで日本語通訳ガイドの仕事をしています。

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